何で発達障害当事者と交流し続けるの?
皆さん、こんにちは!たんめんです。
今回のブログでは予告通り、Twitterで発達障害の人たちと今でも交流し続ける理由について話したいと思います。
僕が発達障害当事者としてTwitterを始めたキッカケに関してはこちらのブログに書いてあります
http://bumerang.hateblo.jp/entry/2017/02/12/231524
くどい様ですが今回の記事はいつも以上に個人の経験論で記事を作っています。なので発達障害界隈については記事の内容と実際に見たものとではだいぶ差があります。(Twitter上の発達障害界隈の詳細なお話も可能ならやりたい)
だから間違っても僕のブログを見てコレが発達障害なんだななんて思うなよ!
決定的な理由は「安心感」
記事の下書きの際に発達障害当事者と交流し続けて良かったことは下書きの段階で15個出てきました。ですが、自分が本当に発達障害当事者と交流しなければ得られないものだと確信できたのは「安心感」、ただ一つだけだったのです。
Q.同じ発達障害を持つ人で無ければ「安心できない」の?
結論から言うと、発達障害当事者以外の交流でも話していると安心する事はあります。ですが、発達障害当事者との交流する事でしか得られない「特典」があります。コレは僕にとってはムチャクチャ必要な特典です。サラリーマンにスーツが必要なのと同じです。その必要な特典を下にまとめました。
- 発達障害にありがちな事が当事者の僕にとっては、相手の気持ちを推し量る「目安」となる。
- 相手も察する事が苦手なので、ズレた発言をしても多少は大目に見てもらえる
- 発達障害特有の悩みを話しても非難も拒絶もされにくい
- 上の3つの条件を満たしてなおかつ沢山の人がTwitterにいる
Twitterには色んな人がいることはなんとなく想像出来ますが、上三つ(1〜3)に関してはちょっと想像しにくいですよね。説明しますね。
発達障害当事者は一般の人が想像出来ないところでポカをします。いくつか例を挙げると、
- 指示を守れていない
- 感情のコントロールがヘタクソ
- 融通が利かない
- 言葉通りの意味以上の事が分からない
これらの事は、自分が経験してるからある程度なら共感は出来ます。多少でも共感出来ると相手の気持ちを考えやすくなります。つまり似たようなシンドい経験をしているので、共感する為のハードルがさがっているのです。
発達障害にも、持ち前のエネルギーや論理的思考力で乗り切ってしまう人もいます。 似たようなミスで自責の念にかられてしまう人もいれば、全く気にしない人もいます。レアなケースですが、相手を傷つけても相手の問題としか思わない人もいます。要は同じ問題でも人によって捉え方が違うという事です。その点に関しては発達障害も一般の方も同じです。その点に関しては気をつけなければなりません。
自分と同じミスをしたから相手も同じ気持ちと決めてかかるのはやめた方がいいです。やめましょう!!!
補足ですが、同じミスでも原因やアプローチの仕方が人によって違ってくることもあります。当事者との交流に慣れてきたら自分のやり方が本当に相手にマッチしているかを考える人はこの界隈では重宝されます。それをやる人が少ないから。
2.相手も察する事が苦手なので、ズレた発言をしても多少は大目に見てもらえる
一言で言うと、相手も察する事が出来ずに苦労しているので相手が自分の事を理解してなかったらなるべく言葉で説明しようとします。どこまで説明してくれるか?どこまで大目に見てもらえるか?それは個人差がありますけど、「察しろ」で終わりにされるよりは幾分マシです。怒る側の「言葉」が改善点のヒントになる事があるからです。
Q.発達障害さんは感情任せに怒りをぶつけてくることが無いですか?
→半分が正しくて半分は間違ってます。と言うのも、感情的になって怒り散らす人もいれば言葉で説明してくれる人もいるのです。それに一般の人のコミュニティーに入ると
言ってくれる人でも察する事を求めざるを得ない状況が発生する確率が高くなります(例外もある)。
少なくともネットでは発達障害界隈と一緒の方がいいと個人的には思ってます(実は現実世界ではどちらがいいかかなり迷っています)
Q.個人差があるのは一般の人も同じなのでは?
→それはそうですが、一般の人で温厚で助言をくれる人と発達障害当事者で温厚で助言をくれる人とを比べると後者の方が理解はあるだろうというのが正直な感想です。
一般の人は発達障害よりも察する力が強いです。ある程度言葉が不十分でも理解出来てしまうという事です。もっと言うと、一般の人が言われなくても自然と分かることを言葉にする回数が少なくなってるのです。数をこなさないとそこの部分衰えてしまうんですよね。哀しいことです。
3.発達障害特有の悩みを話しても非難も拒絶もされにくい
発達障害特有の悩みは一般の人のなかなか伝わりにくい。とくにマズイのが発達障害特有のミスを話した時です。共感されにくいですよ。例えばですよ!「コンビニで商品の数を数え間違えた」とか、「メモができない」と言ったとしましょう。よほど温厚な人でない限りは「慣れだよ」、「気にするなよ」、「暗いこと言うのやめよう」の一言で終わりですよね。更にマズイのが相手にソレを理解されてないと分かったら何度も同じ事を言う事です。そうすると余計にダルがられますよね。やり過ぎるとそれだけで関係が終わる事がありますから。やめましょう!
Q.じゃあ発達障害特有の悩みは友達が発達障害でなければ相談しちゃいけないの?
僕はそれは違うと思います。何故か?それは「気にするなよ」と言った友達の中には共感してあげたいし励ましたい気持ちは山々だけど、なんて言えばいいか分からないと内心では思ってることが多いからです。じゃあ最初から言えと思うでしょう。何で言わないんでしょうね?それはですね、「なんて言えばいいか分からない」と発してしまうことで「僕はあなたの気持ちに共感出来ない」と宣言してしまうような感覚があるからです。だから皆さん、とりあえず誰かが言ってたカッコイイ言葉や楽観的な態度を見せてなんとか気持ちを和らげようとしてるわけです。しかしその一方で、自分の事を少しは分かってくれてもいいじゃないという気持ちもあるのも事実。なので発達障害は当事者と交流するんですよ。ですが、さっきも言った通り発達障害にもいろんな価値観があるのでネットで気の会いそうな人をマークしてそこからコミュニティーに入っていくわけです。
特典のまとめ
説明が終わったところで、Twitterで発達障害当事者と交流する事での特典をまとめましょう。
- 発達障害にありがちな事が当事者の僕にとっては、相手の気持ちを推し量る「目安」となる。
- 相手も察する事が苦手なので、ズレた発言をしても多少は大目に見てもらえる
- 発達障害特有の悩みを話しても非難も拒絶もされにくい
- 上の3つの条件を満たしてなおかつ沢山の人がTwitterにいる
要するにTwitterでの発達障害当事者との交流は、相手の気持ちを理解するための分かりやすい判断材料とポカしても比較的許されて、色んな価値観に触れられる場所何です。
要はそれら三つが揃っている事が、僕にとって安心できる場所だったのです。その場所の一つがTwitter間での発達障害当事者との交流だということです。(他にも居場所がある可能性もあるがその話は居場所が見つかってからにします)
ん〜?発達障害界隈はそんなに温かい環境なの〜?と思った方、かなり勘が鋭いと思います。包み隠さず話しますと、自分の考えだけをズカズカと押し付けてくるタイプの人もいます。本人は気づいてないことが多いです(稀に自覚あって押し付けてくるタイプもいます)。実際「僕が」たまたま優しい当事者に巡り会えただけというのは事実です。そこで一つ提案なのですが、不安な方は僕のフォロワーを参考にしてみては?
@tanmen_sunmoon
が僕のユーザー名です。
やっぱりキツイと思ったらすぐに逃げましょう。自分が一番大事です。これ言うと怒られるけど、成長なんて二の次です。
と、言うわけで皆さん、Twitterは容量用法守って楽しみながら使ってください。
ヤバくなったら離れろ!
それでは、皆さん、さようなら〜