「妥協」は世界を救う
こんにちは!
いきなりですが、皆さんは「仕事の機械化」に賛成ですか?「仕事の機械化」とは、文字通り「人間がやってた仕事で、特に誰でも出来る仕事を全て機械に任せる事」です。皆さんは、それに賛成ですか?
僕は、ワープアになった人、働けなくなった人の助け舟を用意するなら賛成です。しかし、今みたいに「自己責任」で一蹴りして終わりならば僕は反対です。
機械化を進めていくと、働けない人間が増え、貧しい人が増えます。貧しい人が増えると犯罪者が増え、経済も上手く回りません。何故経済が回らないか?労働者が減るという事は顧客も減るからです。犯罪者が増える理由は何かというと、親の貯蓄が尽きて精神的に追い込まれてヤケを起こすからです。
一体何故こんな話をしたの???
気になる方もいると思いますが、それは「機械よりも仕事が出来ない人間」の不甲斐なさに多少目を瞑って、最低限の施しをするべきだと言うことです。「いや、そんなの努力しなかったそいつが悪い」と言いたい気持ちは分かります。ですが「本当に努力してるか」なんて分かるのでしょうか?
「1の(クオリティで仕事をする)能力しかない人間が10の能力分の仕事をこなす」のと、「100の能力の人間が20の仕事をこなす」のではどちらが頑張ったと言えるか?前者ですよね?ですが、「本当にその人が1の能力しか無かったのか?」明確に判断出来ません。しかも全員がこなさなければならない仕事のクオリティが20だとすると、誰かが肩代わりしなければなりません。なので1の能力しかない人間に不満を持つのは致し方ないと思います。
では、2の能力でも出来る仕事があればどうでしょう?それなら1の能力の人も頑張ればなんとかなるのではないでしょうか?ですが、そんな仕事は出てこないですよね?何故か?客が20のクオリティになれてしまってるからです。
それなら20のクオリティの仕事が出来ない人が働けないのは仕方がないと思うでしょう。ですが、客のニーズは満たされれば満たされるほど上がっていきます。ニーズが上がると「最低限出さねばならない仕事の質」が上がっていきます。つまり次は20の仕事しか出来ない人が淘汰される。その次は30、40、50… と、ドンドン上がっていきます。そうなるとドンドン淘汰される人が増えていき、いずれ今普通に生きていける人も淘汰されてしまいます。
果たして、客のニーズを満たすように頑張る事が必ずしも正しいと言えるのでしょうか?
客や企業がある程度の質の低い仕事やサービスを甘受しなければならない。もしそれがダメならそれ相応の額を払うしかありません。今、客の要求はインチキみたいに跳ね上がっています。要求すればするほど、自分が働く時にそれが返ってきます。
今、僕らがやるべき事は「妥協」する事です。「妥協」すれば「最低限出さねばならない仕事の質」は下がります。それが下がると「淘汰される人」は少なくなります。
「妥協」は世界を救う!
みんな、もういっそ「妥協」して、ラクな社会を作っていきませんか?
自己啓発について今思ってる事
僕は自己啓発に関してはあくまで気持ちのコントロールの仕方の「一つ」を学んでいるに過ぎないと思っています。
最近書店には自己啓発の本が目立つように置かれています。自己啓発の本は買う人は多いのでは無いでしょうか?では、自己啓発の本を買って本当に幸せになった人はどれだけいるのだろうか?周りに自己啓発を買った人が何か大きな気付きを得たり、幸せになったりしてるでしょうか?あまりしてないように僕は思えます。
とはいえ僕も自己啓発の本を買っていたりして、実際自己啓発の本に救われた事はありました。ただ、周りを見ても自己啓発の本を買って幸せになったという話はあまり聞かないです。「ヾノ・ω・`)イヤイヤ。自己啓発の本を買って幸せになった人いるよ。」 「僕は自己啓発の本を買って人生が変わった」と思う方もいるのでしょう。ですが幸せになろうと自己啓発の本を買って、幸せになれなくてまた買って・・・ と繰り返している人もいるのは事実です。では自己啓発で幸せになる人とそうでない人との差は?幸せになれないのは本人が努力してないから?自信が無いから?僕は違う気がします。
ここからは僕の霊感になってしまうのですが、自己啓発の本に書いてある「逆境、負の気持ちの対処の仕方」をすっ飛ばして「ポジティブシンキング」や「方法」、「結論」に目が言ってしまってるからではないでしょうか?よく自己啓発でも「人を変える前にまず自分を変えるんだ( ー`дー´)キリッ」なんて決まり文句があるけど「で?じゃあどう変えていくの?どうすれば変わるの?」って聞きたくなりますよね(・ω・`)。
失敗や心の澱み、生きずらさの原因や大まかな対処法を知る事が先決だと思っていて、その為の「参考資料」が自己啓発だと思っています。
それでは、良い1日を!